いずれ、わたしはおばさんになっちゃう(やだ)

昔、というか最近までわたしは万年心の奥底で「痩せなきゃ〜」という意識がずっと鎮座していて、当たり前のように鎮座しているもんだから「なんで痩せなきゃいけないのか」という問いには熱を持って答えられなかった、痩せた方が服がかわいく着られるとかそんな風にぼんやりした目標を掲げて一生ダイエットをしていた。

 

一度恋愛がめちゃくちゃになりかけたときに、このまま終わらせてたまるかよと思ってちゃんと食事管理と筋トレと執拗な散歩で4,5kgくらい痩せて、それはそれは以前より服が綺麗に着れたし多分今よりちょっとかわいくて化粧も楽しかったような気がする  

だけど、人の心というものは数値でどうにかなるものではなくめちゃくちゃになったまま恋愛は爆発して塵になってしまった(恋愛は爆発するんですよ、知ってましたか?)

なので、わたしは「クソー!」と泣きながらたくさん酒を飲んで「馬鹿野郎ー!」と喚きながらたくさん食べて、見事わたしの努力の日々は泡になって元の体型に戻ってしまった

 

体重が戻っちゃったよ〜と思いながら半年くらい様々な草とかたんぱく質が豊富な何かとかを食っていたけど、運動をしないとやっぱりそこまで痩せなくて、よーし、運動でもするか〜とのんびり思っていた

けれど、卒業の類のイベントでマジでそれどころじゃなくなってすごく食べたり1日何も食べなかったりしていてものすごく寝たりものすごく起きていたりしていた

そうしたら、なんか食事管理とかが全部どうでもよくなってそれ以降まったくカロリーとか食内容とかを気にしない生活をしていて、それはとっても楽で、なんて心が軽いのだろうと羽の生えた気持ちだ。

 

おまけに、一番痩せてた時より5キロくらい重いけれど、見た目の変化といえば手のひらが肉まんみたいになってしまったことと手首の骨がどこかに消えてしまったことくらいである(手首の骨はすうっと消えてキラキラの星になったみたい、やったー)

別に太ったからといって個人的に見た目のかわいさが特段減ったわけでもないし、あとの「ここちょっと太ったなあ」とかは昔より気にならなくなったしなんかどうでもよくなった。こういう意識が進化していって、その最終形態がでぶっちょおばさんなのだろうか、だったら困ったな。

わたしはおばさんだけにはなりたくないと思って生きているので、「わたしがおばさんになっても」という仮定は今後あんまりしたくないのだが、22年生きていて薄々それに抗うことがむりっぽいことに気づいてきて、それはもういいやとなっている。しかし、諦念にも自己正当にも開き直りにも見えるこういった意識の積み重ねによって、いつのまにかでぶっちょおばさんになっているのだろうか、でぶっちょになっちゃうのは困ったな、嫌だなーーーー(わたしは諦念のつもりも自己正当のつもりも開き直りのつもりもないけど、涙)

 

あとわたしはほぼ毎日かなり酒を飲んでいるのだけれど、この間先輩に「肝臓というのは普段身体に蓄積されたカロリーを消費する役割をしているが、酒を飲むと肝臓の役割が"アルコール分解をすること"に変わってカロリー消費が後回しになることで、体重が減りにくくなる。お前は今からかなりの頻度でまあまあの量を飲んでると、マジで痩せない体になるぞ!!!」と酒を飲みながら忠告されて、「ガーン…」と思いながらそのあとも酒を飲み続け、その時はその忠告を無かったことにした。

 

すでにこんな有様のわたしであるが、少しでも普通の体型のかわいいおばさんがいいという思いは果たして成就されるのだろうか…!成就されてよ〜、「でぶっちょおばさんは嫌だ、でぶっちょおばさんは嫌だ…」と組分け帽子を被らされたハリーのように願っている。誰も楽しみにしてないわたしの人生のこの先の展開は、非常に「乞うご期待」なのだ。

 

っていう文章をバイト中に書いているんだけど、バイトのかわいいおじいちゃんの社員さんとのおしゃべりに「かあいい」って反射で返しててダメすぎる、語彙のバリエーションが少ないおばさんになるのはもっと嫌だ、語彙が豊富な、普通の体型のかわいいおばさんになるぞ