創作と贅沢

6月末〜7月頭にかけて、本当に息をするのを忘れるほど忙しかったのだが、今その時期の日記をみたら、「毎日、ダイナミックコードの名場面集を見て、笑って、生きたことにしているけど、こんなことなら生まれなければよかった」と書いてあった  あの時のわたしはダイナミックコードの名場面集だけが救いだった  ダイナミックコードの名場面集、本当にありがとう

 

最近毎日、納豆キムチがおいしいとおもっていたら日々が終わっている、納豆キムチがおいしすぎてそれ以外の情報が特に入ってこない  万物が納豆キムチを超えろ  

ここ2日くらい皿も洗ってないしゴミ捨ても洗濯物の片付けもしていない  ずっとベッドの上でパソコンかiPadをいじって何か作っていたりいなかったりする

 

「何かを作り続けていなければ」とここ1年くらい思いすぎている  毎日何かを作っていないと気が済まないと思うようになってきて、オンオフができなくてかなり大変なことになっている  何かをずっと考えていて疲れるが、どうやって何も考えてないみたいな状態を作り出していたかも忘れてしまった

 

 最初に書いた忙しかった時期以外も別にわたしは何故かずっと忙しないのだが、わたしは何かを作る過程よりも何かを達成したという事実のほうがが遥かに好きなので、常に何かに取り組んでいる 取り組むようにしている  だから高校生の時から常に物事を複数個次々抱えて全てを達成してしまわないようにしている   9月は今のところ何もないので焦っている 焦っています いやでも卒論をやらないといけないのでこれでいいのかもしれない

別に大したものをつくっているわけでは本当にないからこんなことは誰が何を言っているんだよになりますが、創作って一見そうなのに全然甘美でも情緒的でもじゃないですよね、「映画大好きポンポさん」をみて痛烈に思いました  ただマジで苦しすぎるということを忘れるくらい、成し遂げた時の達成感だったりそれを褒められたり時の喜びと快感が中毒的で、このときばかりは「創作は豊かであり、そしてまたわたしもこれによりひとつ豊かになった、創作ありがとう!創作だいすき!万歳!」と讃歌でも一発作ろうかと思う、これは他のことでは代替不可能なのでどうしようもない

「映画大好きポンポさん」で、ポンポさんが「幸福は創造の敵」と言っていたのをずっと覚えていて、それを聞いた時本当にそうだなと思った  何かに文句を言っていたり嘆いていたりする状態のほうが良いものが作れるような気がする 創造は不幸で幸福な暴力 殴り合い   ポンポさん、個人的に映像編集シーンとかそういうのが本当に本当にわかるって感じだったので半年後とかにもう1回見たい  でも最初主人公はカット割にめっちゃ拘っていたのに最後の方90分ばかりに固執しててなんかそれはちょっと悲しかったとおもった

 

コロナでやることが創作しかないのもある  思いっきり取り組める手札がわたしの中で創作しかない  本当はわたしは飲酒の方が好きだ  次の日全ての記憶が朧げだけどめちゃくちゃ楽しかったことだけを覚えている飲み会が好きでホッピーの中と外を繰り返し頼みながら争論がモグラ叩きのように次々現れては消えていくのがいちばんすきで、それができないのはやっぱりかなしい  全員がおもっていることだがわたしは本当に飲酒が好きで得意なのでこれをあらためていう  家でひとりで飲むお酒もだいすきなんだけど、物事は比較と相対とコントラストが要だからそればかりでちょっと退屈になってしまった

 

今これを書いてたら川西さんから電話がかかってきて、全然26日のライブの話とかは一切関係ない雑談を1時間くらいしたけどめちゃくちゃおもしろくて、違うサークルの2個上の先輩とともだちなのサイコーだなと思った  

わたしは贅沢で傲慢で欲張りなので自分を恵まれている環境に常に有らそうとするが、それにしても本当に周りに恵まれている   疲れている時に書く日記全て「本当に疲れている」ということと「周りの人本当にありがとう」の2つの要素で構成されていて、夜行バスでとる睡眠くらい質の低い文章になってしまう  でも本当に思っている  

わたしは贅沢がすきなのでヨセケンにもルードにも入ったし(さっき川西さんに贅沢じゃないやつは普通2つもお笑いサークルに入らないと言われた)、映像もたくさんつくらせてもらって、上にも下にも同期にもたくさん友達がいて、いつもお金がない  

みんな贅沢であるべきだ  贅沢な暮らしをしつつその上でクラウドファンディングをしてしまうような心持ちで生きていきたいとおもう  贅沢だからあえて朝に寝てみる、わたしは太陽に、朝に、ありがとうなんて思わないぞ