保育園

わたしはものすごく自己顕示欲が強くてどうしようもない。考えたことや自分が作ったものをダラダラとインターネットの海に垂れ流すのがものすごく好きだ。ツイッターでつぶやく数も、色々なアカウントで、合わせて1日100ツイートくらいしていると思うしストーリーもアホみたいにあげるのできっとたくさんの人にミュートされているのだろうと思う。自分に、人並み以上に自信があるのも相まって「昨日こんなことがあったよ!わたしはこう考えた!」「これつくった!すごい!見て!」とすぐに言ってしまってずっと保育園生みたいで格好悪い。

 

保育園に6年間通っていて、はじめに触れたコミュニティはもちろん保育園だ。4歳くらいの時に「もしかして永遠に保育園なのか?」と思ったが、始めて年長組と同じ階になり(0〜3歳は1階、4〜6歳は2階)、年長組は冬から春にかけて小学校進学準備のためにお昼寝の時間がないということを知り、そこで「進学」というシステムを実感し「そうか…」と思った。1回「保育園が永遠かもしれない」と思った瞬間からずっと保育園の延長で生きているところがある。わたしの心はいつでも保育園に帰れるようになっているのだ。だからまだEテレが心の底から楽しいし小さくてキラキラ光るかわいいものをたくさん集めている。

 

保育園の時同級生のかすみちゃんと5歳くらいの時に「暗号さがし」という遊びをしていたことをすごく覚えている。きっかけは2人で遊んでいた時に園庭の土に何か記号のようなものが書いてあったことだったと思う。それは多分他の人が他の遊びで書いたのか、ただ何かの拍子にたまたまできたものがそれっぽく見えただけなのかわからないが、とにかく当時のわたしたちはそれを見た瞬間「え、これって何かの暗号かな…」と思考回路が一致した。そこから、この保育園には暗号が散りばめられているとわたしたちはなぜか確信し、暗号を記録するためのノートを作り、「暗号さがし」の日々は始まった。

 

とはいっても、その日みた記号のようなものは偶然あったものなので暗号をさがすといってもあるはずがない。かすみちゃんは「ないね〜」と言って少し悲しそうな顔をしていた。これじゃこの遊びが盛り上がらない!と思ったわたしは「手分けしてさがそう」とかすみちゃんに提案し、かすみちゃんに見えない位置からこっそり意味のない記号を指で土に書き、書き終わったらかすみちゃんを呼んで「暗号あった!」と言い、暗号ノートに記録する、という流れを作った。作ったし結構な回数これをやった。書く位置も毎回ちょっとずつ変えた。

もしかしたらこれはかすみちゃんにバレていたかもしれない。しかしその時のわたしはそんなことを考える余地はなく、かすみちゃんと過ごすこの時間が楽しいひと時であることを維持しないといけないという謎の強迫観念に縛られていたのでとにかくよくわからない記号をすごいスピードで書き、かすみちゃんを呼ぶというのを頑張った。保育園の時に一番頑張ったことはこれかもしれない。わたしは成長がとっても早く、常に背の順でいちばんうしろだったのだが、それもこの頑張りのおかげだったのかもしれない。

 

そんなまぬけな流れも維持できるわけがなく、ついに終焉の時が来た。いつものようによく分からない記号を書いていた。わたしはこの作業に慣れ、かなり油断していたのかもしれない。かすみちゃんに「何してるの?」と後ろから声をかけられたのだ。わたしは慌てて手で謎の記号のできかけを隠し「なんでもないよ」と言った。少し暑くて日差しは強かった。園舎の近くにあるちょっと大きい木の日陰になっている冷たい土にわたしは馬鹿な指を突っ込んで書いていた。ついにこの時がきたかと思った。もう20年近く前の出来事なのにそこまで鮮明に覚えている。それからどうなったかは覚えてないがかすみちゃんへの罪悪感からまたやろうよとは言えずこの遊びは消滅した。

 

おかしい。生まれて5年しか経ってないのにこんなに色々考えなくていい、全然かわいくない。家庭教師で小学生の生徒を持っていたが、その子の3歳の妹がとってもおしゃべりで「まだ生まれて3年しか経ってないんだからそんなに喋れなくて大丈夫だろ」と思っていたのと同様に、この時の自分を「生まれて5年なんだから全然そんなことしなくていいだろ」とブン殴りたい。

 

「かわいげのある子供時代」が特になかったから、別に保育園生みたいでもいいのかと思えてきた。よし、みんなでキラキラ光るかわいいもの、いっぱい集めようよ、声かけてね。