「天気の話です」

中学受験の時に、試験と、それから面接がある学校をいくつか受けていた。

中学受験の面接は大体両親か親のどっちかと受けるもので、試験の後にあって、面接は母親と受けていた。

面接の内容は本当に大したことなくて、面接じゃなくて「面談」と呼ばれていたかもしれない。わたしはこの面接が本当に苦手で、質問された時に全然よくわからないことを口走ってしまって、そして勉強もあまりしてなかったし、落とされていた。ていうか勉強もあまりしてなかったのに加えて受け答えもあまり得意じゃなかったから落とされていた。人と話すのは大好きだし得意だし、初対面の人と話すのなんて大好きだと思っているけれど、どうしてこういう場だとうまく話せないのだろうかというのは永遠のわたしの課題である。

 

受けたところのひとつに「お父さんと普段何の話をしますか?」という質問をされてたところがあって、それをわたしは鮮明に覚えている。

わたしのお父さんは忙しくてあんまり帰ってこなかったし、あとはかなり寡黙な人なのでお父さんと何かの議題についてたくさん話すということがそれまでも、そして今もあまりない。

本当にお父さんと話すことがなかったので、その時にパッと浮かんだお父さんとの記憶を頼りにして「天気の話です」と言った。

実家はマンションの角部屋でベランダがすごく広くて、ガーデニングと喫煙が趣味のお父さんは常にベランダにいて、だからわたしも追いかけるようによくベランダにいた。9階だったので千葉が一望できて、わたしは5歳くらいまでお父さんのことを千葉の王様だとおもっていた。(違った)

お父さんとベランダにいる時に、一度だけ空が分厚い雨雲が半分、晴天が半分になっていて「半分晴れで半分雨だね」「そうだね」という会話をしたときがあって、何歳だったかわからないけどそれがすごく印象に残っていた。

だから、「天気の話です」と答えた。今思えば「あまりお父さんと会うことがないので、」とかの、そういう言葉とか説明を付け加えればよかったのにとか思うけど、そんな思考回路はまだ備わっていなかった。

そしたら、面接官の先生に笑われた、返答を小馬鹿にされたのはその歳でもわかった。そのあと「例えばどんなことですか?」と聞かれて、わたしはちょっとムキっとなってしまって「晴れだね、とか雨だね、とかです。」といったら「そうですか〜」と言われて、面接は終わって、お母さんは恥ずかしそうにしていた。

何ていうのが模範回答だったのか、何て言ったらその先生たちの心に刺さったり、ウケたりするのかが今でも全然わからなくて本当に悔しい。天気の話はそんなにだめだったのか。このことを5,6年前くらいに突然思い出して、その時からあれはなんだったんだろうかと今でもたまに思い続けている。

 

結局中学受験はいろんなところに落ちまくって1校しか受からなかった。そこは受験が終わって合格をもらった後に1人1人と面談をするシステムでそれはすごくよかった。地下牢みたいな真っ暗な廊下を抜けた先にとても明るくて小さな部屋があって、そこでその時の校長先生と面談して、「うんうん」と話を聞いてくれてそれはすごく嬉しくて、今でもこの中学高校でよかったとずっと思っている。わたしはしきりに中学高校の話ばかりしてしまうけど、本当に母校が大好きだからだ、あんなにあたたかくて全員の思いやりで成り立っている安心できる空間はこの世にそんなになくて、だからわたしはお父さんと天気の話をしていてよかったのかもしれない。

 

いずれ、わたしはおばさんになっちゃう(やだ)

昔、というか最近までわたしは万年心の奥底で「痩せなきゃ〜」という意識がずっと鎮座していて、当たり前のように鎮座しているもんだから「なんで痩せなきゃいけないのか」という問いには熱を持って答えられなかった、痩せた方が服がかわいく着られるとかそんな風にぼんやりした目標を掲げて一生ダイエットをしていた。

 

一度恋愛がめちゃくちゃになりかけたときに、このまま終わらせてたまるかよと思ってちゃんと食事管理と筋トレと執拗な散歩で4,5kgくらい痩せて、それはそれは以前より服が綺麗に着れたし多分今よりちょっとかわいくて化粧も楽しかったような気がする  

だけど、人の心というものは数値でどうにかなるものではなくめちゃくちゃになったまま恋愛は爆発して塵になってしまった(恋愛は爆発するんですよ、知ってましたか?)

なので、わたしは「クソー!」と泣きながらたくさん酒を飲んで「馬鹿野郎ー!」と喚きながらたくさん食べて、見事わたしの努力の日々は泡になって元の体型に戻ってしまった

 

体重が戻っちゃったよ〜と思いながら半年くらい様々な草とかたんぱく質が豊富な何かとかを食っていたけど、運動をしないとやっぱりそこまで痩せなくて、よーし、運動でもするか〜とのんびり思っていた

けれど、卒業の類のイベントでマジでそれどころじゃなくなってすごく食べたり1日何も食べなかったりしていてものすごく寝たりものすごく起きていたりしていた

そうしたら、なんか食事管理とかが全部どうでもよくなってそれ以降まったくカロリーとか食内容とかを気にしない生活をしていて、それはとっても楽で、なんて心が軽いのだろうと羽の生えた気持ちだ。

 

おまけに、一番痩せてた時より5キロくらい重いけれど、見た目の変化といえば手のひらが肉まんみたいになってしまったことと手首の骨がどこかに消えてしまったことくらいである(手首の骨はすうっと消えてキラキラの星になったみたい、やったー)

別に太ったからといって個人的に見た目のかわいさが特段減ったわけでもないし、あとの「ここちょっと太ったなあ」とかは昔より気にならなくなったしなんかどうでもよくなった。こういう意識が進化していって、その最終形態がでぶっちょおばさんなのだろうか、だったら困ったな。

わたしはおばさんだけにはなりたくないと思って生きているので、「わたしがおばさんになっても」という仮定は今後あんまりしたくないのだが、22年生きていて薄々それに抗うことがむりっぽいことに気づいてきて、それはもういいやとなっている。しかし、諦念にも自己正当にも開き直りにも見えるこういった意識の積み重ねによって、いつのまにかでぶっちょおばさんになっているのだろうか、でぶっちょになっちゃうのは困ったな、嫌だなーーーー(わたしは諦念のつもりも自己正当のつもりも開き直りのつもりもないけど、涙)

 

あとわたしはほぼ毎日かなり酒を飲んでいるのだけれど、この間先輩に「肝臓というのは普段身体に蓄積されたカロリーを消費する役割をしているが、酒を飲むと肝臓の役割が"アルコール分解をすること"に変わってカロリー消費が後回しになることで、体重が減りにくくなる。お前は今からかなりの頻度でまあまあの量を飲んでると、マジで痩せない体になるぞ!!!」と酒を飲みながら忠告されて、「ガーン…」と思いながらそのあとも酒を飲み続け、その時はその忠告を無かったことにした。

 

すでにこんな有様のわたしであるが、少しでも普通の体型のかわいいおばさんがいいという思いは果たして成就されるのだろうか…!成就されてよ〜、「でぶっちょおばさんは嫌だ、でぶっちょおばさんは嫌だ…」と組分け帽子を被らされたハリーのように願っている。誰も楽しみにしてないわたしの人生のこの先の展開は、非常に「乞うご期待」なのだ。

 

っていう文章をバイト中に書いているんだけど、バイトのかわいいおじいちゃんの社員さんとのおしゃべりに「かあいい」って反射で返しててダメすぎる、語彙のバリエーションが少ないおばさんになるのはもっと嫌だ、語彙が豊富な、普通の体型のかわいいおばさんになるぞ

 

 

 

 

 

 

 

 

すこしちょっと

わたしは少し絶望してるくらいがやりやすくて、多分それでいいしそれがいい。

 

えらい大人に「ありがとうござます!」と送ってしまったり、2日干しっぱなしにしていて乾き切った洗濯物が一瞬の雨でちょっと濡れてしまったり、その度にあーあってなる。でもそれで調整できている部分があって、がんばるぞとなれることがあって、それは悪いことではない。

 

毎日、もう16時で、今日も生き遅れてしまったと思って、散歩して池を見て帰って日記を書いて寝ていて、毎日明日が来ることと早起きが何文だかの得とされていることに少し絶望していて、その少しの絶望がちょっとだけ毎日をいびつにしていてかわいい 

 

「じゃあさ」という時の「じゃあ」って「それ」とか「然」とか、なんかそういう言葉が変化してできた言葉なのかなと思ってちょっと調べたらあんまり出てこなくて、そこまでの情熱はなかったからムカついてやめて、ショックだった

 

昨日突然「菅田将暉泣いてたよ」とラインがきたので「なんで?」と聞いたら「なんかテレビつけたら泣いてたよ」って言われて、意味がわからなかったので「かわいとうじゃん」って返したら「はい」って言われてラインが終わった  

 

その人からその40分後に電話がかかってきて、わたしはそれに出られなかった

 

おわり

これからも愛してほしい、でも構わないでほしい

という歌詞を1日に何度も反芻して心臓がギュッとなっているので、心臓が元の形に戻らなくなってしまった。

 

femme fataleの「鼓動」の歌詞なのだが、別段これに共感するとかそういうわけではない。ただ、「これが誰かからの、わたしに対するメッセージなのではないか」と勝手に思ってお風呂に入りながらとか、そういうなんとない瞬間にドキドキして、いつもより早くお風呂から出たりしている。

世の中の人は、意外と他人に興味がない。SNSをやっていて、特にわたしはSNSでの自己顕示を止められた試しがないので、本当にそれは思う。でもそれで、なんか悲しくなって怯んで止めるのはダサいので堂々と続けていく。どんな状況でも、堂々としていることと、決めたら継続していくことが大事だといつも思っている。

そんなわたしの人生の姿勢の話はどうだってよくて、世の中の人は、意外と他人に興味がないみたいだということだ。わたしは他人に興味がある方だし(同じように自分に興味を持ってほしいと思っているから)、例えば誰かが何かを発信していたらそれをできるだけチェックするようにしているが、結構世の中ってそうじゃないっぽい。

有名人が死んだ時がもっともそれが顕著だと思っていて、別にその有名人の話なんて普段誰もしてないのに(普段から応援している人や有名人の知り合い等は別に良い。その人にあまり関連した生活を送っていない市井の人の話。)、訃報が流れると「大好きだったなあ」と個人的な思い出から公の思い出まで、様々な薄っぺらい思い出をみんなが勝手に振り返ったり、とにかく簡易的なインターネットのお葬式を各々主催して、そして次の日には忘れていて、なんて残酷な、都合のいい興味だろうかといつも思う。わたしがもし有名になって、自分が死んだ時これをやられたら多分めちゃくちゃ嫌だ。

そんな世の中だからこそ、「これからも愛してほしい」という態度を取られて、「でも構わないでほしい」みたいな素振りをされたら、その人の発信したものにいつでもいいねをいつもするわけじゃないけど、不思議とアカウントを定期的に見に行ったりして追いかけてしまうし、その度に勝手にはなまるの一等賞をあげてしまいますよね、と思います。この態度を他人に取れる人がわたしの中の天下をとります。

わたし自身、「自分勝手なわたしも、まるっと愛して」とかは一度も思わないので、この歌全体の歌詞に共感しているわけではない。わたしが自分勝手をしていたり、そのせいで誰かが傷ついていたりしてるとあなたが感じたなら今すぐ電話できちんと叱ってほしい。ただ、ここの歌詞だけが異様に好きで何度も何度も思い出してしまう。ケンモチヒデフミありがとう。

あと、femme fataleのあの奇妙な雰囲気というか、西洋美術のようなお人形さんのような神話の世界のような魅力は良いとして、それをコメント欄とかで明文化されるとマジでなんか違うなってなるよね、コメント欄を見なきゃいいんだけど。

かわいいMVがあったらその魅力を明文化しないで教えてほしいです、最近教えてもらったのを何度も見てます。

 

 

わたしが2年くらいずっとすきなインフルエンサー的なポジションにいる女が、半年前に20キロのダイエットに成功して、もういよいよ、ダイエットのことしか言わなくなってしまった。「1週間で10キロ痩せる方法を教えます!」というタイトルの15秒くらいの動画なんて、10秒くらいこの女が踊っていて、最後に「そんなものありませ〜ん!努力が大切です!」みたいなテロップが出るという構成で、本当に最悪すぎた。

確かに努力と継続は才能だと思うし、時間をかけて20キロ痩せたのは本当にすごいことだけど、わたしはあなたのそういうところが好きだったわけじゃないし、あとちょっとうるさすぎるので勝手にげんなりしてしまう。昔太っていることを叩かれすぎていたのでそういうコンプレックスを払拭できたことへの喜びと世界にざまあみろと伝えたい気持ちがすごいんだろうけど、「今も昔もどっちも同じくらいかわいいから、そんなことしなくて大丈夫なのにな」と思ってしまう。

あとお前の伝授しているダイエット方法みたいなやつはもう先代のインフルエンサーたちが既に世の中に伝授済みの「タンパク質脂質糖質のバランスを気にして食事をとり、そして毎日適度な運動をする」というやつなので今そうやって「発見した!!!」みたいに発信されても困る。結局ダイエットというのはこの方法一種類しかないことはもう全員知っている。

もうすっかり、この女はダイエットとASMRをひたすら発信しているばかりで、世の渦潮に染まりすぎている。「ASMRが天職!」と言っていて、そんな人がこの世にいてたまるかよと思った。この女は「20キロ痩せた女」として痩せ至上主義のこの世の中全体にマウントをとりながら生きていくしかないのだろうか、勝手に憂鬱になったのでコンビニで2000円くらい使っちゃおうかな。

うちにくまが来た

3/23 中高の同級生であるりかこがインスタのストーリーで「この人形要りませんか!」とくまのぬいぐるみの里親募集をかけていたのですかさず名乗り出た。わたしの家には人形がたくさんいて、シャチのぬいぐるみのシャチモスや、プーさんの人形のプー太郎とプー助等、個性豊かで愛せるメンバーがたくさんいる。しかし、わたしはいつもそいつらのうち1体をまくらにして1体を抱いて寝ているので全員薄くて平べったくてかわいそう。

 

りかこは、中1の時に同じクラスで出席番号も前後という中高のなかでも古馴染みの方の同級生で、「りかこは入学時身長が160cm前後だったのに1年で10cm以上伸びて完全にはっすーの身長を抜かした」というエピソードを持っている。

このエピソードは全くこれっぽっちも面白くないのに何故か同じく1年A組だった数人の間で笑い話として今も語り継がれており、11年経った今でも、やっぱり全然面白くないのにこれで笑っているし、りかこは中2以降まみをと並んで「マジでデカすぎる人」として学校に在籍していた。女子校だったので170cm以上の女を見ると「世界一でかいのではないか」と思ってしまっていたが、大学に進学したら全然そんなことなかったのでめちゃくちゃムカついた

 

時期的になかなか予定が合わず4/17にくまがうちにくることが決定した。りかこはわたしの大学のとても近くに住んでいたので、「何時にいけるよ〜」とか「ここに家があるよ〜」とかはとてもスムーズに話が進んだ。

 

来たる4月17日、りかこのマンションのエントランスで待っていると想定の3倍の人形をかかえたりかこが出てきた、りかこー!!!となった!りかこ!!!やったよー!りかこ!!!くま!!!やったーーーー!!!

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かあいーーー!!やったー!!!

 

人形全員に名前をつけているので、まず「こいつに名前はあるの!?」と聞いた、多分りかこと2年かそれ以上ぶりくらいに会ったけど全然「久しぶり〜!!」とかいう会話もなくてまずこいつの名前についての会話が始まった。

中高の同級生は多分何歳になっても「いつも会ってる」みたいな気持ちで接せれるんだろうなと思って嬉しかった。わたしは中高及び中高の同級生全員が大好きだし、インスタで中高の同級生の男を見るたび毎回「少しでもこの子を悲しい気持ちにさせてるようなら殺す」と本気で思っている  男が写っている一枚一枚の写真を呪っているのでインスタグラムは疲れる。

 

こいつに名前はなかったので、名付け会議が始まった。

りかこの”り”をとるとか、くま太郎とか、なんかそんな案が出たが、多分こいつにはもっとふさわしい名前があるとおもって妥協したくなかった。

りかこにペットを飼ってなかったのか尋ねたら、昔「チーズ」と「ジャム」という金魚を飼っていたらしい、あんま魚に食べ物の名前つけなくないか?と思ったが、同じくパンにのせるもので一番このくまちゃんにぴったりなのが完全に「バター」だったので、このくまの名前は「バターくん」になった!バターくん!!!かわいいーーー!!!二人でめっちゃはしゃいだ。

今考えたら、ジャムおじさんとバタコさんとチーズだった。やなせたかしと思考回路がかぶってしまった、アチャ〜。

 

一旦早稲田にあるヨセケンの部室にバターくんを置いてわたしは大手町で鈴木さんと木内さんと栗原とスペイン料理を食べる約束をしてたのでそこに赴いた。鈴木さんと共にすごい勢いでワインを飲んだし、みんなですごい勢いでスペイン料理を食べた。ワイン、うめ〜。

アレルギーとかじゃなくて普通に好き嫌いで蟹と貝と海老が食べられないというわたしの最悪の味覚のせいで、それらを少し避けたメニュー選びをして頂いて申し訳なかったがすごく美味しいお肉とかをご馳走になって本当に嬉しくて嬉しくてわたしは…

 

そのあと木内さんと解散して3人で部室に向かうとたくさん現役がいて、少し申し訳なかったが鈴木さんがまたもやすごい勢いでハーゲンダッツ等を現役生に向けて爆買いしていてあと喫煙者には「喫煙者は早く死んでほしいと思っている」ということで2箱ずつタバコを買ってくれた、ギャー、ご希望に沿うように市川と大西とわたしは早く死んどきます、本当にありがとうございます!

 

わたしと鈴木さんは本当にもう枯れ果てたOBだったので小1時間いてそそくさ帰ろうと準備をしていた。わたしは枯れ果てたOBのくせにこの日1円も使っていないので、もし江戸時代だったらわたしはえた非人だし、えた非人は「不当に差別をされていた」けど、わたしは全然「順当に差別されていた」と思う。

とか考えていたら、みんなが「たかはしさんバターくん忘れてます!!」と教えてくれて、ゴミ袋に入れられたバターくんを渡してくれたのは本当にかわいかった、みんなー!

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わたしはかわいいものが本当に大好きで、家にある雑貨も自分の持ち物もいちいちかわいくないと気が済まないのだが、その理由として「かわいいものは周りの人や環境もついかわいくさせちゃう」というのがある、なのでかわいい持ち物は多ければ多いほどいいに決まっている。

 

そして、現在、この文章をバターくんの上で打っている。バターくんがデカすぎて背もたれにも適しすぎているし何か置くのにも適している、隣で寝ている時はマジで完全に人だ。抱きしめた時の感触が完全に人で、人じゃんと思っている。

 

今日は徹夜で作業していてそのまま起きているのだが、さっき少し寝ようかなとゴロゴロしていたら本当に「人」すぎる。わたしは、家に人がいたら嬉しい、みんなにいつでも来てと思っている。

マジで気を抜くと「人か!?」と思って嬉しくて笑顔で話しかけようと思って上体を起こして顔を見るけど、顔を見ても、微動だにしないにっこり笑顔のくまの人形だという事実がそこに寝ているだけなので、わたしも笑顔をキープしつつそっと下の位置に戻っているのを繰り返している、さっきこれに気づいて猛烈に悲しくなった。

別にバターくんに話しかけてもいいのだが、冷静且つ客観的な脳内の第三者が「一人暮らしで恋人もいず、たくさんいる人形にはなしかけはじめたらいよいよ終わりなので本当にやめてくれ」と叱責というよりは懇願という感じで話しかけてくるのでしないでおいている。

 

わたしは人を家に呼ぶのがだいすきなのでみんなもおうちにきてバターくんにあってあげてくださいね、という文章でした、またね。

 

 

 

雲と霞の話、明晰夢の話

【雲と霞の話】

高校の時、黒宮れいのことが大好きな子がいたのを、大森靖子の「みっくしゅじゅーちゅ」のMVを見ていて思い出した。その子はあまり口数が多くないがしっかりと自分の意見をもっている子で、とても顔がかわいくて色が白くて、なにかを悩んでいるのかなにかを恨んでいるのかはたまたなにを喜んでいるのかがぱっと見で分かりにくかった。儚くてすぐにでも消えてしまいそうだと今でも思っているが、わたしはその子のことが大好きだった。

その子もわたしも、高校の学園祭実行委員会に所属していてその子は委員長でわたしは会計で、同じ三役だった。それもあってとても仲がよかった。あまり普段積極的に見えないその子がすごい速さでサクサクパンパンと仕事をしている様は見ていて気持ちが良かった。

その子は九大に進学して今は九州に住んでいて、2,3ヶ月に1回の頻度で電話して近況を話し合っている。その子から電話を切ることはなくてわたしが「もう切るね〜」というと「ええ〜…」と本気で寂しそうな声で言ってくるので本当にわたしの友達はやっぱりみんなかわいいと思う。今度、わたしの友達がいかに全員かわいいかという話をします。かわいいというのは容姿のみならず愛嬌が凄まじかったり性格がものすごく良かったり、そういうのをまとめて「かわいい」としています。

その子の儚さから醸し出されているその雲や霞を、できるだけ長く、わたしはつかんでいたいと思います。

 

明晰夢の話】

今日見た夢がすごく怖かった。インターンみたいなセミナーみたいなものに2泊3日くらいで参加しているのだが、最後、それを主催している団体もわたし以外の参加者も全員カルト宗教団体であることに気づいて、でもそれから逃げると社会的に抹殺されるのでもう後戻りはできなくなっている みたいな夢を見てかなり最悪な目覚めだった。

夢というのは結局わたしの脳が演出しているわけだが、最後は「ムンクの叫び」シリーズの年が経つにつれどんどん歪んでいく背景のように世界がぐにゃあとなってしまい、そこにいた人たちの顔も四畳半神話大系の宗教の回の信者たちみたいな顔になっていた。あとプリキュアのモブ敵のザケンナーみたいな顔のやつもいた。マジで怖かったが、わたしがもしそういうシーンを作るとしたらそういう風に演出するだろうなと思った。

このことをブログに書こうと思った時に、「こういう作業を続けていたら明晰夢を見るっていうよな〜」とふと思い、「あれそういえば1年前くらいにわたしは夢日記をつけていたな」と思い出した。でもその時期は何故かエロい夢しか見ない「エロ夢フィーバー」が毎晩起きていて、めちゃくちゃエロい展開の夢が殴り書かれたあとに、最後「とてもエロかった」という感想で締められているものばかりで、振り返った時に普通に最悪だったのでつけるのをやめたんだよな〜と思い返した。あとなんかエロイベントを誰かに邪魔されて「それが普通に邪魔だった」とか書いてたのでそれも最悪でした。

 

そういえば、山田五郎YouTube  とってもおもしろいです。知識欲が満たされまくります、知らないことが消えるたびに嬉しくなりますよね。概要欄とか編集とかかなり間違ってるなってなるんですけど、そこも含めて最高です。山田五郎の周りってこういう人たちがいるんだなと思えます、山田五郎は愛されていてかわいいです。

 

最近、聞いたらわたしの心がきゅんってなる曲をあつめたプレイリストを作ったのでApple Musicを使ってる人は聞いてもいいですよ、300曲以上あります。

扉絵はわたしのだいすきなおもひでぽろぽろです。

 

https://music.apple.com/jp/playlist/%E3%83%81%E3%82%A8%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93/pl.u-qxylmD5u2XDJv2N

 

あとfemme fataleの「鼓動」のMV良すぎます。お金がしこたまかけられているのでクオリティがズバ高くて、良いのは当然なんですが、わたしは世界観が作り込まれていればいるほど良いとおもってしまうので、そこも引き込まれてしまうポイントです。1日1回見てしまいます。これからも愛して欲しいし、でも構わないで欲しいです、あなたに言っています。

www.youtube.com

生きてる生かされてる俺ら

ここでは他大や外部スタッフ 映像のはなしなどを書きます!マジで4年間の総まとめをして、2020年度と大学お笑いはさようなら、2021年度に突入します!めちゃくちゃ長いので読まなくていいです!でも自分の名前が出るかも!と思う人は読んだほうがいいです!

 

本当にプロアマ問わず、外部でスタッフやりすぎた4年間でした。わたしはパワーオブフリーというわけわからんライブのスタッフをした数日後に爆笑問題の単独ライブのスタッフ(もぎりとかですけど)をやって頭がおかしくなりそうになりました。マジで200ライブはやっています、ちゃんと数えたことないから知らないけどもっとやってるかも。お笑いライブをやるような劇場で、まだここでスタッフやったことないなっていうところもうないと思います。昨日東京ベイビーボーイズ9のライブを見に行ったら片山さんがいて、やっほ〜ってできて嬉しかったです。さまざまなお笑いライブに色んな知り合いがいます。

 

大学芸会2018のオープニングや、ガチプロ2020のオープニングなど、大きい大会、大きいライブの映像とか、同期ライブの映像も毎回作れて嬉しかったです!映像のおかげでわたしはこんなにも面白くて楽しい友達が周りにたくさんいるという状況を作り出せることができました、依頼してくれた人本当にありがとうだし、ツイッターで発信し続けてよかったです。反撃の狼煙をあげたらなんか軽く炎上したこともありましたね、あれ本当になんだったんですか?別に良くないですか?と1年半たった今でも思ってます

あと、芸会2018もガチプロ2020もとれたての明転飛び出しを入れ込めてるのとてもアチチですし、キッス寄席のOP作ったら日下部の常連のゲイバーにいいねされたり、そういうのも嬉しいです。

 

たま〜に、どうやって映像を作ってるのか聞かれるので書いておきます。

わたしは、映像を作る時に、そのライブのコンセプトも踏まえながら「見た人がどう思うか、見た人にどう思われたいか」を一番念頭に置いて作っていました。同期ライブだったら、同期だけという楽しさ、「同期って楽しいな〜」という感じを感じ取って欲しかったし、ルードの新歓ライブだったらルードの楽しさを全面に押し出して、ヨセケンの新歓ライブだったらヨセケンの少数精鋭な感じを全面に押し出そうと試みていました。あと0.1秒も、1コマも、気を抜いてはいけないこととOPは基本的に1分前後と決めていました(1分半をすぎるとわたしは長いなと感じるから)。それとこの曲でつくると決めた時から四六時中その曲を聴いてました!曲を聞いて何度もイメージを頭の中でつくって、そのイメージを自分がしっくりくるようなアウトプットがどれくらいできるかがわたしの勝負でした

 

何のソフトで作ってるのかも聞かれるので書いておくと、2年の12月まではFilmoraのみでつくっていて、3年生以降はPremierやAE、Photoshopを使って作っていました。Adobe製品を使ってから格段に自分の「こうしたい」の具現化の幅が広がって本当に嬉しかったので「こうしたい」のアウトプットがうまくできなくてもやもや悔しいぞという人はAdobeを使ってみてください!わたしはもっと早めに習得しておけば良かったと思っています。しかし、全然無料アプリを駆使してできることもいっぱいあるので有料がいいとは一概には言えません。何を使うかではなくどのように使うかだと思います!

42本も作れて本当にラッキーでした!面識もほぼないのに依頼してくれた人とかもいて、本当にありがとうございました。特技が一つ増えて、さらにそれを磨けて嬉しいです。聞きたいことがあったら全然DMとか待ってます!そういう質問、ちゃんとすごく長文でいつも返してますよ!

 

大学芸会2018のオープニングを作った時、まだくさかべと知り合いじゃない時期だったのですがくさかべからこんなDMがきて、ラインのQRコードが送られてきてこわかったです マジでヤリモクかと思いました

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けど全然ヤリモクじゃなかったし今じゃすっかり親友でラッキーラッキー! 一緒に撮った写真、くさかべが疲れすぎて顔ぐちゃぐちゃだったみたいです かわいそ〜

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ヨセケンヅテでもルードヅテでも、結構色んなライブスタッフの依頼がきて、そうやって色んなサークルの知り合いが増えて本当にラッキーです!マジでともだち増えました。大学お笑いにいて、大学お笑いをかなりエンジョイできた方だと思います。友達ありがとねゾーンにここから突入します

 

篠原

マジで篠原とはルードの新歓で知り合った1年の4月からずっと仲良くて、3年生になって1,2年よりかは学校いかなくなるまでお昼ごはんずっと一緒に食べてくれたり空きコマ付き合ってくれたり付き合ったり、本当にお前だけが「大学お笑いの友達」というよりかは「学校の友達」という特別感満載な感じでラッキー  篠原がいたからこそのわたしの早稲田ライフという感じだよ  篠宮ととってたフランスがどうちゃらみたいな授業結局なんだったの?

 

日下部

夜中に突然電話したり突然会おうってなったり、なんかYouTuberになってたり、でもいつでもくさかべは楽しいしくさかべが楽しそうなのもすごいですよね

3年生の夏から知り合ったんだっけ、何も覚えてないけどいつの間にかベストフレンドフォーエバーになってて嬉しいです もうこれ以上顔がぐちゃぐちゃにならないような人生にしてください あとゲイバーにも連れて行ってください あとお前は頭が良すぎる これからも仲良くね ともだち

 

神田

マジで最近やたら仲良くなったけど神田の優しさと素直さと人望人徳は日本列島を覆えるので是非総理大臣になってください  真面目すぎるあまり不器用になってしまう時があるのが神田のいいところですよね本当に  あと背が高すぎて神田の顔あんまりみたことないんですけどもうちょっと縮んだほうがいいよ あとお前は頭が良すぎる  

君の人生は絶対にこの先いいことがたくさん待ち構えているでしょうが、その起こったいいことをたまにわたしにも教えてね 

 

さーさ

さーさも最近仲良くなったけど存在はずっと知ってて、さーさがフライヤーでわたしがオープニングということがたくさんあって、こんなにセンスのある人とデザイン面を担当できてマジで嬉しかったです!そのデザインのセンスは全然可能なら分けて欲しいです!愛の渇きと扇風機おじさんのフライヤーが本当にかっこよすぎてマジでたまげた時の衝撃がいまでも忘れられないです 賢くて優しくてかわいくて何度もわたしのことを大好きといってくれるさーさの存在がピースです!

 

三好

感動的なお見送りをしてくれた同早戦の2日後に早稲田歩いてたら普通に遭遇した時本当になんで?と思ったの今でも覚えてます。 携帯いじりながら歩いてたら早稲田高校のセブンの前で三好が話しかけてきていや2日前まで京都にいたしバイバイしたじゃんと思って意味わからなすぎて泣きました。月1であっていて、東京にいる友達より全然あってた2,3年生だったね。マジで遊んだり飲んだりをたくさんして、三好がいたからこそ、より大学お笑いが楽しかったです 三好はマイナスな言葉を言わないから本当にすごいですよね その明るさと人望で頂に登ってくれ〜 また東京きたらおしえてね 篠原と加藤と今年の年末年始も飲も〜

 

栗岡

すっかりセクハラをしなくなり、一つのコミュニケーションツールを失った栗岡ですが、その優しさと気遣いが天下一品なのは変わらないですね 芸会2019のあと酔っ払ったわたしの話をずっと聞いてくれたの、何を話したか全く覚えてないけどめっちゃ嬉しかったです 三好ほどは会ってないけど早稲田くる度会えて嬉しかったよ〜ずーっとずーっと仲良くしてくれてありがとね、 栗岡の視野の広さとキレすぎる頭で素敵なお医者さんになってください、なるのか?あと、ゆいこと仲良くね!わたしのゆいこでもある

 

ゆいこ

ゆいこの前だと「ゆいこ〜〜〜ちゅきちゅき」になってしまうのでめちゃくちゃ偏差値が下がります ゆいこのかわいさ優しさえっちさを見ると嬉しくなるので 本当にゆいこに会えて良かったです…ゆいこをインスタで見るたびに「ァ〜」って元気が出ちゃう!わたしが3年生の時に意気揚々と「ゆいこ今日カラコンしてます!」って言ってきた時は何もわからなくてごめんねと思いました。かわいくて慕ってくれる後輩が関西にいるということが嬉しすぎます 旅行にいくので観光案内してね!

 

喜劇に関しては割とキリないですね、全員また今度会ったりしてください!

 

ここまで、ヨセケン、ルード、そして他大・外部ライブのことについて書いてきましたが、ここに全部いたのが原本という男です。原本は、誇張ではなく、本当にわたしの大学お笑いの全ての瞬間にいました、どの瞬間を切り取っても、です。

1年の時から原本筆者、限界大学、ロゼッタストーンでルードの1年の中でも尖ってる演者として認識されていた彼は11月くらいに突然ヨセケンに入ってきて、他の先輩たちも「こえ〜〜」ってなってた気がします、でも彼は一見尖っているように見えて大いなるかわいげがあるので多分全然大丈夫だったと思います。わたしは、その時原本のことをどう思ってたか全く覚えてません。原本が初めて活動に来た時とかも覚えてませんし、何も覚えてないです…なんでだろ…。原本は1年の10月にわたしと学館のエレベーターで一緒になったときに初めてわたしを認識したらしく、演者にも見えないしかといってスタッフにも見えないので「こいつ…なんなんだよ」と思ったらしいです。そういえば1年の時原本がヨセケン入ってくれてよかった〜とおもった時はわたしと高山さんと中谷さんと4人でぺこ妊娠おめでとう飲みの時です。中谷さんが「ぺこが妊娠というこことですが…」と音頭を取り始めたの、すごい懐かしいし意味わからないですね。わたしはぺことりゅうちぇるの今と過去に非常に詳しいのでいつでも聞いてきてください。

そんなことも経て、いつの間にか超親友になっていました、ヨセケンの2年生の時の新歓ライブの時に「俺は高橋の映像のファンなのでこれからも頑張って欲しい」とラインをくれたのをずっと覚えていて、その時の「う、う、うれし〜…!」というホワ〜っという気持ちは、ずっと映像を作るときの糧になっています。

2年の同早戦の行きの夜行バスで隣でしたね。なんか原本はネタを書いていたと思います、その時原本は龍にハマっていたのでそのネタ帳に龍の字が入った言葉が書いてあったと思います。3年生の時は炎にハマっていましたね。そのあとめちゃくちゃウケててすごいよかったけど、飲み会ですごい潰れていて、さらにヨセケンは原本の他にも2人潰れていたので、なんで?と思いました。同早戦は男たちが宴会の途中で相撲をするんですが、その相撲の横で潰れた3人を巡回したのを今でも忘れません。それ以降も何度も潰れた原本を起こすという作業をしました。まあ原本は店で潰れたりゲロ吐いたりしないので、部室とかで寝られて起こすという作業は全然嫌じゃないので大丈夫です。これからもどうぞ真っ赤な顔で潰れてください。

2年生の冬から3年の春くらいにかけて原本がすごく怖かった時期があって、多分その時はあんまり話してなかったんですけど、何をしてましたか?今度その時の話しましょう。

あとやたらブログも褒めてくれて嬉しかったです。ブログを書くたびに原本と、あと福田さんが「天才じゃん」と送ってくれるのですが、自分では自分の文章をおもしろいとおもったことがないのでめちゃくちゃありがたかったです。

多分、ルードが執行代じゃなくなり且つヨセケンを引退して以降の方が仲良いと思います。1年前、「居酒屋で信じられないほど食べ物を食い、2時間しかいないのに2人で8000円も払う羽目になった、ナルトのトレーナーを着た出会い系の男」に血迷って会った時、意味わからなすぎて撃沈して原本に連絡したらすぐ来てくれて一緒に部室で朝まで飲んでくれてわたしはマジで救われました、一緒に早稲田に咲いてる桜を見に行った。ていうかこの出会い系の男きっとめっちゃいいやつですよね、多分わたしが悪かったんだろうなと今思いました。オードリーのANNのヘビーリスナーだったし。

ヨセケンにいってもルードにいっても他大の同期といても、原本がいてそれはとても心強いことでした、原本とは「こういう人が好き」というのが被っているので、それも相まって原本と誰かと飲むことは多かったです。共通言語がいっぱいあって本当にありがたかったしなにより、わたしのことを褒めてくれるのが嬉しかったです。

本当にわたしという人間は直前にならないと何もできないのですが、ルードの卒ライの映像が終わらなすぎているわたしに原本から激励のラインが卒ライ前日に届いて、「明らかにお前と優子がスタッフの地位を変えたと思うから、最後まで天才でいてくれ」と言われたのがめちゃくちゃ嬉しすぎて、4年間頑張って良かったなと思いましたし、すぐ優子に共有しました。わたしはスタッフの地位を変えたと思ったことはありませんが、そう思ってくれる人が1人でもいるならそれはめちゃくちゃ嬉しいことです。

 

わたしはあんまり原本のことを口に出して褒めたことはありませんけど、それは原本の才能や人間性を信頼しているし、原本はそれを強く自覚しているのでわざわざわたしが口に出して教える必要がないと思っているからです。でも、大丈夫かなと不安になった時は絶対言ってくださいね、めちゃくちゃ褒めるので。この間原本と「マジでお笑いサークル2つ入ってよかったよね、どっちかだけでもだめで、両方あるからこそ良かったよね」という話をしました。本当に4年間ありがとうね、4年間いっぱい思い出あって嬉しいね。これからも心の友で、スネ夫ジャイアンの関係ではなく2人ともジャイアンでいましょうね。

 

振り返りは以上です!ここまで読んだ人は原本しかいないのではないでしょうか。

本当に、お笑いサークル入って良かったです!高校の時から大学生になったらお笑いサークルに入ろうと思っていたのでこういう大学4年間にはどっちみちなっていたと思いますが、2つ入ったことや幅広くいろんなことにチャレンジできたことはそれでも本当に嬉しいことでした!今後のわたしの人生をますます楽しくしてくれるだろう人にたくさん出会えたことはわたしの宝物です!「わたしもみんなも、目の前に広がる道がキラキラでありますように」と本当に思っています。4年間で手に入れたラッキーな宝物をポケットに入れて、大学お笑いとは今生のお別れです、大学にはまだあと1年いますが!じゃあね。