ヨセケンの卒業ライブの後日書いたもの

「サークルを卒業しなければいけない」という使命が無事果たされてから3日間、(こんな婉曲的な書き方をしないといけない世の中)、疲れすぎて、悲しすぎて100万時間寝ていた。3日で100万時間を確保できたことがまず嬉しいが、それよりも寝ていることに飽きてしまった。その短気さがいい時も悪い時もあるが、今回は前者であった。西洋の墓の周りの蝋燭のようにわたしの周りに並べられた機材、コード、リモコン等を片付けて溢れかえるゴミというゴミをゴミ袋にブチ込んだ。わたしは動画編集をしている時、こなしてもこなしても次々と襲いかかる作業を目の当たりにしたかわいそうな自分をあやすためにグミを無心で口に運び続ける機械となるのだが、それにしてもグミのゴミが多すぎて駄菓子屋がうちでテロを起こしたのかと思った。駄菓子屋テロリスト。動画の編集というものはみんなが思っている3倍時間がかかり、本当に骨が折れるので毎日投稿しているYouTuberは本当に変態だと思う。「毎日投稿スゴイヨネ〜」というのが世論だが、その世論の倍の倍の倍 心が籠ったわたしの意見である。

 

とりあえず卒業の儀式をしたことにより、1つのサークルがひと段落して、部屋も片付けた。そして、バイトをしながらこうやってカッコつけて文章で今の状況を整理している。だらだら書いていたら夕方になってしまったけれど、絶対にわたしは大丈夫だ。定期的にボロボロにダメになったり愛と勇気が漲ったりが交互に起きてマジで躁鬱病か?と思う

わたしは、自分がしたことで人が喜ぶなら、救われるなら、という気持ちがとても強く、それ自体はとてもいいことだと思うが、そのために自分の心身をギコギコと削ってしまう癖がある。自分が少し我慢すれば成立することがあるとして、そしたら「①我慢する」という選択肢しかなくなる。自己犠牲の気持ちが強すぎる。それはやめて、やめてというか、それを発動する状況を取捨選択していこうと思う。その分自分がちょっと生きやすくなればいいですよね、ちょっとそこの有楽町を偉そうに歩いてるあなた、聞いてますか?それにしても有楽町という名前は愉快すぎる。

なんかだんだん何を書いてるかわからなくなってきて、マジでめんどくさくなってきた。じいじみたいに自叙伝でも書こうかな。今年は「これを書いたぞ」というものを何か一つ作ります。

そろそろ、本当に未熟という年齢でもなくなってきたので「うっわ〜きっつ〜」ってことはやめていきましょうね。これからもよろしくおねがいします。