いまが一瞬で過去に過ぎる前に

3/31で大学お笑いのはなしを今のことのようにペラペラするのはやめにしようとおもっていま焦って思い出とかふりかえっています。ヨセケンのこと、ルードのこと、他大のこと、全部書くのでとっても長いと思います。全然自己満なのでみなくていいです。なんかヨセケンのことだけで4000字も書いちゃってすごい長くなっちゃったのでこれはヨセケンだけの記事にします

 

-ヨセケン-

ヨセケンにはいったきっかけは「ルードと迷ったからとりあえずどっちもはいっちゃえ、エイ!」ということです。新歓最終日の最終時刻にヨセケンの看板を持ちながらしゃべっているゆきやさん高山さん木内さんを見かけなかったらわたしはヨセケンに入っていませんでした。そして、木内さんがわたしのへんてこりんな名前の母校を「名門だよね〜」と言ってくれたことで完全に心を掴まれた部分があります、ちょろすぎますね。わたしが入った時、ヨセケンは冨田さんがビラもパンフも、あらゆるデザインを全て担当していて他大と比較をしても群を抜いておしゃれだったし、他のお笑いサークルとはちょっと違った、そして「少数精鋭」という言葉を具現化したような雰囲気、そして幹事長が斉藤さんという、54年の歴史の中ではじめての女幹事長であったことがすごくすごく魅力的で、演ツーも本当に人生で一番たのしくて、10月ライブ「頼りないバリア」が内容はもちろん、外側のデザイン面も最高のライブで(未だに楽しくてかっこよくてかわいくてワクワクした大学お笑いで一番よかったライブだと思っている)、何度もこのサークルに入ってよかったと思ったと同時に、54が引退してもわたしが他のたくさんあるお笑いサークルとはちがう「かっこよくておもしろい、話しかけにくいけど話してみたいヨセケン」を絶対に維持したいなと思い、ここまで続けてきました。やっぱり人というのは「他人とはちょっと違ってかっこいい」というのが大好きだと思うんですが、やっぱりわたしもそれが大好きで、サブカルとみせかけたミーハー魂にまんまと魅了されてしまいました。

 

2年生、3年生はオープニング映像をはじめ、本当に好き放題やれてよかったです。ほんとに、スタッフが3学年で5,6人とかしかいないヨセケンだからこそできたことです。3年生は一応スタッフ長という感じでしたが、マニュアルを一から書き直したり、ビデオカメラ買ったり、映像のソフトを2つも部費で落としたり(やった〜)、生配信の機材揃えたり、好き放題やってしまってすみませんでしたという思いもあります。しかし、わたしがいなくなった暁に、みんなの好き放題も見せてくださいと思っていますよ!結局人の好き放題を見るのが一番楽しいですよね。だってうっせえわのRemixバージョンとか全然いらないのにめっちゃかっこいいし、人の好き勝手は最高です。

ていうか無観客生配信ちゃんと機材揃えてやったのヨセケンが最初なんですよ!大学お笑いでコロナと最初に友達になったのは我々です。みんな、生配信でチケット売ればさらにお金入るよって日下部単独「ヤリ漫」が示しています、是非どんどこ生配信やりましょうね、そんなに難しくないので やらずに「赤字なんだが」と嘆いている人はアホですよ!

 

わたしは、自分の代の幹事長、副幹事長とそれぞれ仲が良かったのがよかったです。

柳井とは本当にずっと最初から仲が良くて、なんで仲良くなったかも全然覚えてないけど気がついたら仲が良くてすっかり親友、いや大親友でした。なぜか演ツーも3回中2回一緒にいったな、なんでだっけ。たのしかったのでよかったです。わたしたちの代は柳井しか幹事長ありえませんでしたが、柳井が幹事長でよかったなってみんなで何度も思ったはずだし、柳井と一緒にする仕事は話が早くて楽でした。それとある程度自我があるわたしにかなり判断を委ねてくれるというスタンスを柳井がとってくれるのでめちゃくちゃやりやすかったです、わたしがやりやすいようにしてくれてありがとう。あと柳井は底が見えないくらい優しくてそれにいつも助けられていました。柳井が優しさをのぞいている時、優しさも柳井をのぞいています。でも柳井は話を2割しか聞かず、その2割の情報だけで話の全容を理解した気になって意味のわからない相槌を打ってくるのでそれはやめた方がいいです。でも、ほんとうに柳井がいたからヨセケンがたのしかったし、柳井がいたからこその56代でした。本当にありがとね、本当にありがとう。これはわたしの葬式でも言いますよ、わたしの今のところの人生で柳井という存在がどれだけ大きいか、知ってください。

原本はもうほんとに、ほんとにほんとにいつもいつでもいっしょでしたね。同じ腹から生まれましたっけ、というくらい一緒にいました。原本のことは別にヨセケンゾーンで書く必要ないのであとで書きます。

 

わたしが今まで所属してきた団体の同期、団体というものは得てしてそういうものなのかもしませんが、全部「別に物凄く仲がいいわけじゃないけどスマートですぐ話が決まって仕事が早い」代で、56代も例に漏れずそうでした。わたしは仕事ができる人が大好きなので、別に仲がいいわけじゃないけど運営はきちんとやるというそのみんなの姿勢がとっても居心地良くて、みんながみんなを信頼し合ってる感じがサイコー!でした。

同期のスタッフが本多と仲嶋で本当によかったです。わたしが頼んだことを適切に汲み取ってくれてきっちりやってくれる2人だから、何かを頼る時に不安だなとおもったことがなかったです、とても信頼してました、ありがとう。

1回もやめなかったメンバーは7人しかいないけど、やめちゃったメンバーもいれたら12人くらいいますね、7人は本当に無条件でgoodです。途中でやめた人たちはちゃんと謝るので一回殴らせてください!おねがいします!でもたまにライブ出てくれたりしてありがとう!

 

先輩は本当に全員にかわいがってもらいました、本当に。全然被ってない8代上の人とかにまで一緒に飲んでもらったり、縦の繋がりが深いところがヨセケンのすきなところです。嬉しくて身体が壊れそうです。毎日先輩と飲んでる時期とかもありました。54代みたいになりたくてここまでやってきたし、55代とはもはや心の友なんですけど、これからタメ口でしゃべってもいいですか?

「たかはし」ではなく「ちえ」と呼んでくれる先輩は本当に嬉しくて嬉しいです。一人一人にかなり長文のメッセージをかけるくらい、全員との思い出があります!書こうとおもって書きはじめたらキリなくてやめました。

後輩は、月並みな意見ですが、ほんとうにかわいいです。すごい奢るのですごい奢られにきてください。すごい奢らないかもしれませんが、みんなのほっぺを撫でますね。57代は本当にみんながそれぞれ粒立ったキラキラの光を放っていて、その光が集まって1つの綺羅星になっている代ですし、58代はそれぞれ自分のやりたいことをしっかり持っている素敵な代だと思います。この間大西にふざけてラインで1万円の送金依頼をしたら3000円くれたし、そのあとすかさず千葉からラインギフトが送られてきて意味わからなかったけど、そういう人懐っこさも58代の魅力ですよね!59代は本当に何も知らないのでこれから知っていきます。この「ヨセケン」を君たちの色に染めながら、受け継いでいってほしいなと思うし、どんな色になるのか本当に楽しみです。根幹は大幅には変えてほしくありませんが、ガワはいくらでも何色にでもしてしまいましょう!

 

ヨセケンは旅行が多いのもたのしかったです。ヨセケンは北陸以外全部の地域に行きます、すごいですよね。変な旅行サークルとかに入るより、ヨセケンに入った方が楽しいです。演ツーは世界で一番たのしいです。あんな楽しい12日間があるからこれからの人生を頑張ろうと思えます。演ツーがない人生の人、かわいそうとまで思ってしまいます、そんなわけないのに。同志社もたのしかったです。夜行バスつらすぎるしほぼ1泊3日だけど、同志社の人と仲良くできてほんとうによかったです。同志社は本当に、東京のお笑いサークルと全然雰囲気が違うというか、そもそもの土壌が全然違う感じがしてマジでかっこいいです。2個上の代から頻繁に東京くるようになってくれて、なんかとれたて力とはコロナになるまで毎月会ってたし、マジでわたしの大学お笑いライフにおいて同志社の存在は計り知れね〜〜〜すぎる。わたしが無観客ライブのやり方と諸注意を書いたブログを更新したらそれをまっさきに取り入れてくれたのが喜劇で、本当に君らは賢くて優秀で、吸収能力が高くて、それに加えて全員がおもしろいなんてサ…となりました。同早戦・早同戦を作ってくれた国内留学生という意味のわからん肩書きの人本当にありがとう…

 

ヨセケンで「青春」を全部やってしまいました。夜中にコンビニ行ってアイス食って帰るとか、そういうのも含めて全部やりました。全種類の青春がギュッとわたしを抱きしめてくれてた4年間でした。学外の部室がわたしの心の拠り所でしたし、何度夜を明かしたことでしょうと思います。

 

ヨセケンの思い出を振り返ると、「湿気が多い雨がさっきまで降ってた時の匂い」と「どうしようもなく寒いけどすっごく晴れてる時の眩しさ」が何故かその思い出たちについてきます。どんな天気でもです。この2つがヨセケンというものを表している2つだと思います。

本当にジメジメ陰気な雰囲気が蔓延っているのに、それでも最高なのおかしいですよね、なんで最高なのか最後まで論理的にはわからなかったですけど、肌でそれを体感できてよかったです。人生は今までの経験が踏み台となってどんどん上に上がっていくものだと思いますが、ヨセケンはわたしの中でとってもとっても大きい踏み台となりました。本当にラブ

 

そして、56代卒業ライブ「それでも死なない」を見てくださった皆様、本当にありがとうございました。温かいアンケートをくれた皆様は特にありがとうございました。みんながいっぱい書いてくれたので、気持ちよく卒業できますし、これからずっとこのほかほかしたきもちを胸に、前に進んでいくことができます。

 

「それでも死なない」という名前は1年ライブ「死なない」からきていてスタッフ仲嶋がつけてくれました。1年ライブ「死なない」は、柳井と原本とわたしが3人でいるときに1年ライブのタイトルを考えていて、わたしと柳井は名前をつけるセンスとかが終わっているので「かっこいい 熟語」とかで検索していっぱい調べていた中に「不死身」があって、2人で「不死身かっけ〜〜〜」とかいってたら原本が「かっこよくないだろ、だったら"死なない"の方がいいだろ」とボソっと言ったことから命名されました。とかそんな思い出も全部全部箱の中にしまって、箱にシールとかいっぱい貼って棚に飾っておいて、たまに開いて懐かしんだりしますね、ヨセケン入って、よかったな〜。